大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和34年(わ)359号 判決 1960年2月15日

被告人 塩崎塩太郎

明三六・七・一〇生 日雇人夫

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実)

本件公訴事実は、「被告人は、昭和五年ころ、はぎ(明治四三年一二月三日生)と婚姻し、同六年四月二四日長男清美をもうけ、同二六年六月ころまでの間は漁師、工員あるいは日雇などを営んでいたが、その間、被告人は飲酒を好み、家計を顧りみなかつたことなどから妻はぎとの折合が悪く、同年一二月ころ、妻はぎは長男清美の住居地である千歳市春日町四丁目千歳特別電話局官舎に身をよせるかたわら、食堂の賄婦として勤め、清美とともに生計を維持していたところ、被告人は、昭和二七年暮ころ、単身千歳市内に赴き、同市朝日町の安宿などに止宿して日雇い暮しをつづけ、妻はぎと別居生活をしていたが、昭和三三年五月に至り、被告人は前記長男清美の住居地に移転し、妻はぎら家人と同居生活をするようになつたが、被告人の酒癖はいつそうその度を強めことごとに妻はぎと意見が合わず、成人した清美は被告人の粗暴な言動が家中のいさかいの源であると考え、母はぎとともに被告人をせめるようになり、それがたび重なるにつれ、被告人は自己だけをのけ者にされたものとひがみ、さらに前記の如く妻はぎと同居するようになつてからも同女が被告人との性交を拒みつづけていたことから性的不満がつのり、果ては長男清美が妻はぎのとりことなり不倫な関係にあるものと邪推しいたく憤慨していたところ、たまたま同三三年九月二日午後九時ころ妻はぎからすげなく性交を拒絶されたうえ、同月三日午前〇時ころ、長男清美が祭り酒に酔つて帰宅し、被告人に対し悪口、雑言を浴びせかけるや、いままでのうつ憤がさく裂し、ここに長男清美を殺害しようと決意し同家の台所から刺身ほう丁を持ちきたり同家茶の間において清美に対し「清美、この野郎」と申し向けて、同人の左胸部めがけて突き刺し、よつて同人をして左前胸部刺創に基く失血により即死せしめ、もつて殺害の目的をとげたものである。」というのである。

(被告人の経歴)

当裁判所において取り調べた各証拠を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、被告人は二五才のとき、妻はぎと結婚して、間もなく二人の間に長男清美をもうけたが、三一才のとき肋骨骨折の外傷を受けてから毎日のように酒を飲み出し、次第に酒量が増え、職場も怠けて十一年間勤めた樺太の王子製紙野田工場をかく首された。その後、行商、日雇、土工などと職をかえたが、四一才のとき軍の要員を志願して千島や南方に従軍し、その間に、次第に強い洋酒も嗜むようになつた。昭和二一年六月南方から復員し、青森県の実家に落ちつき、同二三年八月樺太から引揚げてきた妻子を迎えて弘前で同居するようになつた。被告人は、平素無口であつたが、相変らず酒を飲み、ばくちを覚え、家計をかえりみなかつたので妻子との仲も悪くなり、間もなく妻は娘二人を連れて実家に戻つた。昭和二六年、当時北海道千歳市の特別電話局に勤めていた長男の清美に招かれ、はぎと娘二人が同地に移住したが、被告人は、一家があげて千歳に移り住んでいることを知り、昭和二九年妻子を追つて千歳に渡り、ひとり、日雇、杣夫などをして働いていたところ、偶然はぎとめぐりあい、それからは、時々山から下りて妻子のところに泊つた。このころも被告人は、毎日一、二合の焼ちゆうを欠かさず、妻子を訪ねるときは、いつも立つて歩けないほど深酔いしていたので、はぎは、酒ぐせが悪く不甲斐のない夫をきらい、自然被告人との性交渉をさけるようになつていた。そのため、被告人は、はげしい嫉妬にいらだち「お前には若い男がいる」といつて妻をなじつた。鑑定人竹山恒寿作成の精神鑑定書(以下「竹山鑑定」という。)は、被告人は、「長期にわたる耽酒の結果、昭和三〇年ころから慢性酒精中毒としての嫉妬的・刺戟的な不安気分を持つに至り、その嫉妬は次第に病的な様相を深くして、昭和三二年夏ころには酒精中毒性嫉妬妄想病と呼べるような状態に発展してきた。しかし、その当時の妄想は浮動的に発現していて、これに対する被告人の確信も強固なものではなかつた」としている。昭和三三年五月ころから被告人は、妻子と同居するようになり、物置を改造したせまい一室をあてがわれてそこに起居し、千歳の基地に通つて働いていたが、いつも焼ちゆうを飲み、酔つて家に帰つた。そして、当時電通局の職員寮の賄婦をしていた妻に対し「寮に若い男が三人も四人もいるから、おれをよせつけないのだろう」といつて嫉妬したりいじめたりし、あるときは「お前は若い男と関係している。お前を殺しておれも死ぬ」といつて流場で洗濯をしていた妻のうしろから出刃ぼう丁をつきつけ傷を負わせたこともあつた。同年七月中旬ころ被告人は暴飲のため肝臓病を患い、黄疽を発し、吐血し一週間ほど全く食物を摂らず、床についたままであつた。竹山鑑定は、この時の状況について、「被告人は、その酒精中毒の上に昭和三三年七月下旬より酒精中毒性幻覚病を発するに至つた。被害妄想、追跡妄想・嫉妬妄想を内容とする幻聴が熾烈で小動物幻視・運動幻覚などもおこつてきた」とし、また、鑑定人中川秀三作成の精神鑑定書(以下「中川鑑定」という。)も「七月上旬から中旬にかけて肝臓病にかかり、黄疽になり嘔吐があり摂食不能であり、これが一週間位して急性期を経たころから特有な妄想・幻覚に襲われたが、この被害的な妄想と幻覚は顕著なものであつた」としている。その嫉妬妄想のため、被告人は、同年八月初めころ「妻と清美があやしい」との幻聴を体験し、妻子間の不倫を確信するようになり、本件犯行の一ヶ月ほど前、娘のツル子に、そのことを真剣な表情で話したほどであつた。

(事件当夜の情況)

昭和三三年九月二日、午後八時すぎころ息子や娘達が留守であつたので、被告人は妻はぎに性交を求めたが、拒絶されたため同人と喧嘩となつた。被告人は、憤激してはぎを二、三回殴りつけたので、はぎは外へ逃げ出し、被告人も七月肝臓病を患つて以来酒を絶つていたが気がくさくさするので自転車に乗つて外に出たが、そのとき後から待て待てと追跡してくるような幻覚を体験し、恐怖に襲われて、近くの酒屋で焼ちゆう三合を飲み、さらに屋台によつて焼ちゆうをコツプに一杯飲み、酔つて午後九時すぎころ帰宅した。被告人は自分の部屋で横になり、「てめえを殺しておれはぶた箱に入るのだ。子が親を殺せば罰は重いが親が子を殺しても罪にならない。せいぜい五、六年も入れば出れる。場合によつては三年で出れる」などとうわ言のようにつぶやいていたが、翌三日午前〇時ころ帰宅した息子の清美から「ぐだぐだいわないで寝れ」といわれて腹を立て、また、はぎが寝室から茶の間にいる清美に「寿司をこしらえてあるから食べなさい」と親しそうに話しかけるのを耳にして、いよいよ妻と清美との間の不倫な関係を妄信し、いままでのふんまんが一度に爆発し、清美を殺害しようと考え、突然起き上り、台所から刺身ぼう丁を持ち出して茶の間に至り、おりから服を脱いだまま立つていた同人の左胸部をめがけ「清美、この野郎」といつて突き刺し、公訴事実記載のとおり同人を死亡させたものである。

(被告人の精神状態)

前掲中川鑑定は「被告人は、七月に飲酒のため肝臓を犯されてから犯行時まで一ヶ月半ぐらい飲酒をしていなかつたうえ、耐量に近い焼ちゆう四合をたて続けに飲むという急激な飲酒の仕方をしているので、このような飲酒情況からみても最高の酩酊状態にあり、酩酊の質については、病的酩酊と推定される。事件のあつた一二時すぎまで被告人は入眠していないが、強く酩酊していながら横になつても三時間近く入眠していないことが、酩酊性朦朧状態にあつた疑が濃厚である。その際、以前からあつた嫉妬の相手である清美の帰宅に際会し、爆発的激怒が発生し犯行を行つたものと推定する。」としている。したがつて、被告人が長男清美を殺害した当時は、飲酒の結果病的酩酊に陥り、その精神状態に極めて高度の障害をきたしていたのであるから、一応心神喪失の状態にあつたものということができる。

ところで、本件は殺人罪(刑法一九九条)として起訴されているが、酩酊の結果、心神耗弱ないし心神喪失の状態において、他人の生命身体財産等に危害を加えるおそれのある行為に出る素質をもち、かつ、これを自覚する者は、平素飲酒を抑止しまたは制限することにより、右のような危険の発生を未然に防止すべき注意義務がある。被告人もかつて、飲酒のうえ、妻はぎのうしろから出刃ぼう丁をつきつけて傷を負わせたことがあり、かつ、このことを自覚していたと認められるのであるから、本件犯行前の如く耐量に近い酒を急速に飲用したことは、右の注意義務に違反した疑いがないではない。そこで、訴因変更の問題は別として、過失致死とくに重過失致死罪の成否について判断を付加しておくと、前掲中川鑑定は、「被告人は慢性酒精中毒に罹患し、それによる性格変化があり、昭和三三年七月ころから妻と被害者清美とに対して酒精性精神病としての嫉妬妄想が発生したが、そのころより酒客せん妄からくる被害的な妄想と幻覚を有しており、犯行当時も存在した。」とし、また竹山鑑定も、「被告人の本件犯行は、酒精中毒性幻覚病としての妄想に支配されて遂行されたものであり、その際被告人は酩酊していたけれども、その酩酊は妄想に基く行為の発揮を容易ならしめたにすぎない。」としている。以上中川、竹山両鑑定を総合すれば、被告人は、本件犯行前からすでに酒客せん妄ないし酒精中毒幻覚病としての嫉妬妄想、被害妄想、追跡妄想に支配され、酩酊に対する注意義務も期待しえない状態のもとで飲酒をしたものであつて、この点においてすでに心神喪失中の行為といえるのであるから被告人に対し過失責任(過失致死とくに重過失致死の責任)を問うことはできないといわなければならない。

したがつて、前掲竹山鑑定の指摘するとおり、本件公訴にかかる殺害行為も、その際の酩酊状態を顧慮するまでもなく、右の如き妄想の支配下に行われたものと認められるのであつて、結局、被告人は、行為の当時理非を弁識し、その弁識に従つて行動する能力を喪失していたものにほかならないから刑法第三九条第一項にいう心神喪失の状態にあつたものと認めるのが相当である。

よつて、刑事訴訟法第三三六条前段を適用して被告人に対して無罪の言渡をする。

(裁判官 相沢正重 海老塚和衛 橋本享典)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例